なぜ魔女の便り?

コスタリカ、エスカスの公園で魔女といっしょにひと休み
エスカスの公園で魔女といっしょにひと休み


コスタリカの首都サンホセの西どなりのこの町は,よくciudad de brujas 「魔女の町」と呼ばれていて、エスカス人のことをbrujo「魔法使い」と言ったりもするのです。

コスタリカ。中央アメリカ。北はニカラグア、南はパナマにはさまれた小さな国。面積は九州と四国を合わせたぐらい、人口は約490万人で、日本のおよそ26分の一。名前を聞いたら、コーヒー、豊かな自然、エコツーリズム、ぐらいは頭にうかぶでしょうか。

私は2018年の1月から家族とともに、コスタリカの首都サンホセの西どなりの町、エスカスに住んでいます。国連の仕事で35年間、いろいろな国を転々とし、退職してバンコクから引っ越して来ました。コスタリカは自然が豊かで、気候もよく、平和で、医療制度も整っています。引退後住むのには、理想的な国のひとつとして世界的に知られています。

でも私たち夫婦の場合は、このほかに、ひとり息子がまだ高校を卒業していないのでよい学校があること、夫がニカラグア人なので彼の母国のとなりであることも魅力でした。もうひとつの理由は、引退後バンコクからこちらに移る以前に、2012年から2015年まで、私がコスタリカの国連常駐調整官という役職をつとめていた時期にさかのぼります。そのときに、平和、民主主義、そして自然保護を真剣に追及するこの美しい国と、そのやさしくて正義感の強い国民がとても好きになったのです。

国連の仕事でコスタリカに住んでいたとき、仕事の関係でこの国のいろいろな分野の人びとと接しました。でも、政府の高官や政治家、または民間組織のリーダー的な人たちが多かったのです。またこの国に住むことになって、もっと普通の人びとの生活について知り、これまでマクロ的な観点から見てきたコスタリカ社会を、個人個人の視点から考えてみたいと思いました。

同時に、日本からこんなに遠い国に住みながらどうしたら祖国とのつながりを保てるだろうと考えました。思いついたのが、コスタリカのいろいろな地域や分野の、普通の人びとに話を聞き、ブログを通じて日本の人たちに知ってもらうこころみでした。

コスタリカ、エスカス市の紋章。「エスカス市魔女の町」と書いてあります。

エスカス市の紋章。「エスカス市魔女の町」と書いてあります

まずは私の住んでいるエスカス市の人たちからはじめたいと思います。エスカス市はサンホセ市の一部ではなくカントンという自治体です。同時に、首都圏の一部とみなされていて、事実上サンホセの郊外と見られています。実際、エスカスに住む人々の多くはエスカスに住みながらサンホセに職場を持っています。2~30年前はかなり田舎だったようですが、今は高級住宅街とショッピングモールを思いうかべる人がほとんどでしょう。

たしかに外国人やコスタリカ人のお金持ちが多く住む町で、所得レベルも人間開発指数も国でいちばん高いうちに入ります。でも私たちがエスカスを選んだのは、子供の学校に近いこと、緑が多く、町の中心部はとても庶民的で、家族ぐるみでやっているお店や食べ物屋さんがたくさん残っているのが気に入ったからです。それに豪奢なお屋敷のすぐとなりに小さな農家があって、前の通りをにわとりがちょこちょこ歩き回っていたりするのも楽しいものです。犬と散歩に出ると牛や馬にもよく出くわします。

エスカスという名は先住民のItzkatzu、「安らぎの場所」という言葉から生まれたといわれます。この町はよくciudad de brujas 「魔女の町」と呼ばれていて、エスカス人のことをbrujo「魔法使い」と言ったりもするのです。実際エスカス市の紋章には、ほうきに乗って飛ぶ魔女のすがたが盛り込まれています。

なぜかと聞いてみました。昔、ヨーロッパからユダヤ人が多くこの町に移民して来て、コスタリカの人口の大部分を占めるカトリック教徒にとっては彼らの習慣が不思議にみえたからだ、という説。あるいは先住民のシャーマンに由来がある、または本当に昔は魔女がいて今でも隠れて魔術に従事している人がいるからだ、などといろいろな説があります。ともあれ、これもこの町の魅力のひとつでしょう。

「魔女の町」からの便りを、どうぞお楽しみに。

(2019年5月16日)