
「 今、とてもハッピーです。家族も喜んでくれて、よく来てくれます。母はここだけでなく、ほかのアジア料理のレストランにも行ってみるようになりました。両親は私のことを誇りに思ってくれてます。家を出てから、父からは援助を受けずに、自分の力でこの店を起ち上げたんですから。」
ビアンカのラーメン屋さん、Atsui Ramenを見つけたのは偶然でした。作家のクインス・ダンカンとのインタビューに備えて彼の本を買うために、サンホセ中心部(サンホセ・セントロ)の小さな古本屋さんにいったときでした。その右どなりの建物のシャッターにラーメンの絵といっしょに、Atsui Ramenとローマ字で書いてあったのです。地味でちょっと荒廃気味の区域で、周りに目を引くようなお店もないなか、真っ黒の背景に赤や緑を塗ったシャッターは目立ちました。本屋さんの、年配のご主人におとなりのお店は日本人がやっているのか、と聞いたら、コスタリカ人だと言います。「行ったことあります?」と尋ねたら、とんでもないとでもいう風に、「ノー」とかぶりを振りました。
それまで私が知る限り、コスタリカでラーメンを出すのは、エスカスで韓国人がやっている、「コロロラーメン」というお店だけでした。でもこのお店のラーメンは麺がどうもインスタントっぽいので、がっかりしていたのです。(聞くところによると、韓国の人たちのあいだでは、インスタントラーメンを家で食べるだけでなく、お店で出すのは「正しい」ということになっているみたいです。)それで、Atsui Ramenにぜひ行かなくちゃ、と思い、夫といっしょに行ってみました。
小さくてシンプルだけれども、小ぎれいで明るいお店で、壁にはかわいいイラストがかかっています。夫はtonkotsu ramen、私はベジタリアンを頼みました。塩気がほとんどないのと、豚骨スープのコクがいまいちというのが難点でしたが、日本のラーメンに近い味でした。麺は手打ちで、本格派をめざしているのがうかがえます。
本とネットでラーメン研究
ビアンカ・ラミレス(Bianca Ramirez)といいます。31歳です。このお店はパートナーのバレリアと私ふたりのものです。彼女は商売だけでなく、人生のパートナーでもあります。私が料理をして、彼女がバーとお客さんの世話、そして事務や会計を担当しています。
お店をひらこうと思ったとき、最初からラーメン屋にするつもりではなかってんです。まずどういう食べ物を出すべきかアイデアを探すためにアメリカに行きました。ニューヨークに行きたかったんですけど、西海岸のほうが滞在費が安くてあちこちに行けるだろうと思って、サンフランシスコとポートランドとシアトルに行きました。するとそこら中にラーメン屋さんがあったんです。でもコスタリカにはまだ一軒もなかったので、それじゃラーメンで行こう、と思いました。それに私、小さいころから麺類が好きだったので。
まず本やネットでラーメンの作り方や歴史について研究しました。それから自分でいろいろなレシピをためしてみたんです。そろそろこれで行けるかな、というところまで来て、もう一度アメリカに行きました。日本に行くのはお金がかかりすぎるので、いちばん本格的なラーメンが食べられるところと思って、ロサンゼルスのリトルトーキョーに行ったんです。あちこちのお店でラーメンを食べてみて、自分のは大丈夫だと思いました。
いよいよ店を開くと決めたとき、場所をどこにするかいろいろ考えたあげく、トレンディーなところは家賃が高すぎるので、サンホセ・セントロにしたんです。中華街にも近いですし。それにサンホセの中心部はとくに見栄えもしなくて、治安も良くないので人びとに忘れ去られているので、町の活性化にも貢献したかったんです。レストランやバーや美術館が増えれば仕事のためだけでなく、自由な時間にもひとが来るようになりますから。
店をひらいたこの場所は以前はソーダ(コスタリカでは大衆食堂にあたいする)でした。バレリアは最初は気に入らなかったんです。当時は天井もなくて、壁はくずれかけていて、ひどい状態でしたから。でも私は足を踏み入れたとたんに、本能的に「ここだ」と思ったんです。
お客さんに喜んでもらうのがいちばんの幸せ
私はサンホセで生まれ育ちました。子供のころからお料理が好きで、いつも母が料理するのを見ていました。私はビーガン(ベジタリアンのように肉や魚を食べないだけでなく、乳製品、卵、はち蜜も食べない)で、父は昔からベジタリアンです。彼は酪農をやっていて、母は主婦です。私は二十歳のときに家を出て、ネットでオーダーをとる、ビーガンのお惣菜の宅配サービスはじめました。でも商売にならなかったので、不動産の仕事に切り替えて、お金をためて自分のお店を出すことにしたんです。
この店は去年の11月にひらきました。Atsui Ramenという名前は、日本語でラーメンに関係のある言葉を探してつけたんです。ラーメンを食べるとあつさに顔を打たれるような感じがしますものね。
まず家族や友だちをよんでテストをして、それから正式に開店しました。最初からかなりお客さんがはいってくれています。お客さんの大半は、フェイスブックかインスタグラムの広告をみて興味を持ってくれた人たちです。ラーメンをいちども食べたことがないひとが多いです。「ラーメンって何なの?どうやって食べるの?」って訊くひとがたくさんいます。でもたいていおいしいと言ってくれます。うちは、お醤油とお味噌以外、塩や調味料はいっさい使わないで、自然な材料だけで作っているんです。だから最初は塩味が足りないと言うひともいますが、それでも大半のひとが気に入ってくれています。
近くにある最高裁判所の職員もたまに来てくれますけど、普通のコスタリカ人は食べ物に関しては保守的で、なかなか新しいものを試そうとしません。
麺は、最初は竹の麺ぼうで生地をのばして、すべて手でやっていたんですが、時間がかかりすぎるので今は生地を混ぜるのは中国から取り寄せた機械を使っています。かつおぶしやみりんなどの日本の食材は、サンホセに三軒ある中国系のお店で買うんです。豚骨は、サンホセのとなりのエレディア市の市場に買い出しに行ってます。
この仕事をしていていちばんの幸せは、お客さんがおいしいと言って喜んでくれることです。そう言われると自分も嬉しくなってしまいます。その反面、お客さんに気に入ってもらえないのがいちばんつらいです。でもそういうときはどうしようもありません。食材を売ってくれる業者がみんな男性で、私のことを小さな女の子あつかいするのにも憤慨しますね。
アジア人のお客さんもずいぶんきてくれます。日本人かどうか区別がつかないんですけど、本格的なラーメンを知っているんだと思うと緊張します。でもほとんどの人は気に入ってくれているようです。アジアの人は控え目なのであまり何も言ってくれませんけど、何度も来てくれる人が多いので、嬉しいです。


Atsui Ramen
将来はパナマにも進出?
今、とてもハッピーです。家族も喜んでくれて、よく来てくれます。母はここだけでなく、ほかのアジア料理のレストランにも行ってみるようになりました。両親は私のことを誇りに思ってくれてます。家を出てから、父からは援助を受けずに、自分の力でこの店を起ち上げたんですから。
将来は、この店をもっと大きくするか、チェーンにできればと思っています。となりのパナマにもお店を出したいと思ってるんです。肉体労働で、大変な仕事ですけどやりがいを感じてます。
私の休みの日は日曜日だけです。バレリアは7歳の女の子がいるのでしょっちゅう店にいるわけにいきません。今の家族は私たち3人と、犬と猫です。
店をひらいたときにちょうどコスタリカの財政改革の問題が起きて、景気がわるくなったらどうしようと心配でした。でも、この国には経済的な問題があることはありますが、私は大統領を信頼しています。国のためを思っているひとだと思います。
私たちコスタリカ人は、この国の平和主義をあたりまえに思って育ちますけど、海外に出て兵隊があちこちにいる国に行ってみて、はじめてありがたみがわかりました。おかげでコスタリカの人間はほかの国の人びととくらべるとのんびりしていますよね。海外に出ると私たちの小さな国にはないものがたくさんあることに気づきますけど、私はコスタリカを変えたいとは思いません。私はここにずっと住み続けたいと思ってます。
日本にはおいしいものがたくさんあるでしょうね。ぜひ一度行ってみたいですけどお金がかかり過ぎて。日本の人へのメッセージですか?コスタリカにいらっしゃるのならぜひ店にいらしてください。そしてうちのラーメンの感想を聞かせてください。
(インタビュー2019年4月10日)
日本のラーメンはいかがでしたか?応援したいです🙌
こちらにいらしたときに一緒に行きましょう!