
「 石や土や木材などの材料を建物に変えるというのは、それらの材料に魂を吹き込むようなものです。よい建築というのは神秘的な作業だと思います。 」
ミュージシャンから建築家へ
大学で教養学科を終えた時点では、まだ何をしたいのかわかりませんでした。いちばん好きな学科は数学だったんですけどね。とくに幾何学が好きでした。あのころよく幾何学的な絵を描いては、中学校からのガールフレンドにプレゼントしていましたよ。でも数学はあまりにも無味乾燥で、一生をささげる気にはなれませんでした。
実は私はもともとはミュージシャンになりたかったんです。子供のころに独学でギターやピアノを覚えて作曲もしていました。中学高校時代は友だちとバンドを組んでいましたね。でも結局私は声があまりよくないので音楽はあきらめたんです。
どうしようと迷っているときに、友だちからコスタリカ大学に建築学科ができたと聞いたんです。1971年でした。建築は、芸術的な要素と数学的な要素が混ざっていて、自分にはちょうどいいかもしれないと思いました。それで、このコスタリカ初の建築学科の一期生になったんです。それまでは、建築家になりたいひとはほとんどメキシコに勉強しに行っていました。

材料に魂を吹き込む
建築の仕事は一軒家、分譲住宅、工場、駐車場、なんでもやりました。それに大学でデザインの授業を長年受け持ちました。建築の仕事はもちろん好きです。何かを創り上げるということがね。石や土や木材などの材料を建物に変えるというのは、それらの材料に魂を吹き込むようなものです。よい建築というのは神秘的な作業だと思います。でも人間、なんでも深く追求して打ち込めば好きになるものですよ。そして、何かひとつのことを深く追求していくと、他の分野への視界も開けていくものです。
私は卒業論文をコスタリカの伝統的な建築について書きました。そのときに、コスタリカの建築の変遷と並行して、世界中でどういう人物がどういう活動をしていたかについて年表を作りはじめたんです。それが面白くて、どんどんのめりこんで行きました。けっきょく紀元前4000年から紀元1990年まで調べたんです。そのおかげで、最初のスペイン人征服者がコスタリカに上陸したと同じころ、レオナルド・ダビンチがモナリザを描いていた、ということがわかったんです。
建築は経済、政治、技術の発展のあらわれ
今、コスタリカの建築の歴史について本を書いています。コスタリカの建築の発展は、この国の経済、政治、そして技術の発展と深くつながっています。スペイン人が到来する前の先住民たちは土と木の枝を使った、バハㇾケ(bahareque)と呼ばれる手法で家を建てていました。彼ら独自の世界観をあらわすデザインで、たとえば家が丸いかたちなのは天球を象徴しています。スペイン人たちも、最初は建築用の道具もなく、とにかく急いで気候や先住民から身を守らなくてはならなかったので、木の幹や枝をそのままつかって家を建てていました。すきまがあれば土と草で埋めてね。
コスタリカに羽目板をつかった建築があらわれるのは、19世紀の半ばにコーヒーの輸出が盛んになり、それによって経済にゆとりがでてきてからです。つまり、コーヒーの輸出で稼いだお金で、道具を輸入できるようになる。そしてその道具を使った新しい建築様式が広まったわけです。当時はイギリスの影響でビクトリア王朝風の様式を熱帯気候に適応した、カリブ海風ビクトリアンというスタイルがはやりました。天井が高くて、木のよろい窓を使って風通しがいいように作ってあるんです。
二十世紀のはじめには、ラテンアメリカ全体にナショナリズム運動が起こって、中南米独自のルーツを探るようになります。植民地時代の建築が見直され、新植民地風(ネオコロニアル)スタイルが生まれます。このように、建築は経済、政治、技術の発展から切り離しては理解できないんですよ。
サンホセ中心部にある、コスタリカ国立劇場。1891年に建立。建築費はコーヒーに輸出税を課して賄った。ネオクラシックほか、いろいろな建築様式がまざっている。
子供たちが一番大切
今、私にとっていちばん大切なのは子供たちです。妻とは別れて暮らしたいますが、子供はふたりいます。31歳の息子と23歳の娘です。娘は医者志望でね。今はいろいろな病院でインターンをして回っていて、12月に卒業する予定です。彼女はもともと研究者になりたくて医学学校にはいったんですが、インターンをやっているうちに人を助けたり、世話をするのが好きになってしまったようです。私のお手伝いさんのお父さんが、彼女がインターンをしているサンフアン・デ・デイオス病院に入院したとき、偶然、娘が彼を診ることになって。お父さんは、あの先生は丁寧で優しくて、としきりに褒めていたそうです。
息子は大学でコンピューターシステムを勉強していたのですが、中退してしまいました。学位をとるまであと一科目足りないだけなんですが、卒業したがらないんです。彼は小さいころから、何か思い込むとひとのいうことを聞かない子でした。まだ子供のころ、あるとき私と彼の母親と車に乗っていて、彼がどのことばか忘れてしまいましたけど、まちがって言ったんです。それで私が「そうじゃなくてこうだよ」と直したら、息子は、「でもぼくはこういうんだ」と言い張って。
でも頭のいい子でね。それにとても文才があるんです。まだ彼が小学校にいたころ母親と私が校長先生によばれたことがありました。行ってみると、「あなたたちは、息子さんの宿題をやってあげているようだ」というんです。そんなことはないと言ったら、息子が書いた文章をみせられて、「これは子供がかけるものではない」と言われました。だからジャーナリズムか文学を勉強したらどうかと言ったんですがそれもいやだといううんです。いまのところは海外がらいろいろな品物を輸入して売るを仕事にしています。

コスタリカを愛し、ナショナリズムを嫌う
私は、コスタリカを誇りに思うというよりは、ここに生まれてとても幸運に感じます。この国の気候、変化にとんだ地形、動物や植物の多様さ、ふたつの海がすぐ近くにあること、そして民主主義。
それに、コスタリカでは、ゲイの人、マルクシスト、協同組合主義者、ネオリベラリスト、いろんな考え方の人とお互い尊重しあいながら友情をもつことができます。友だちでありつづけるためには、宗教と、サッカーと、政治と、恋愛の話をするな、とよくいいますね(笑)。
でもきらいなところもあります。たとえばこの国の政治の卑屈さです。だれかがいい提案をしても、自分のものでないからといって足をひっぱるというやり方が大きらいです。もう少し高いところに視点をおいて、よりよい国をつくることを考えられないのでしょうか。
それに私はわかいころからナショナリズムというものは信じていません。人類にとっていいことだとは思えません。
日本の伝統的な建築は素晴らしいと思います。驚くべきものです。本当に魅了されます。ミニマリズムの最高の表現です。床に座るというのはあまり心地よさそうではないですけどね。私もここのアパートはあまり飾り付けしていないんです。絵を全然かけていないでしょう。窓から見える風景とかち合わないようにね。日本の人びとは知性、知識、賢さ、慎重さ、そして質素を大事にする国民だという印象があります。
東京でまたオリンピックが開催されるんですか?最初の東京オリンピックのために丹下健三がデザインした建物は素晴らしいですね。日本に行ってみたいですがあまりにも遠くてねえ。日本の人たちへのメッセージですか?何でも質問があったら喜んで答えますよ。写真が見たいようなら撮ってあげます。このふたつの国のあいだの距離がじょじょに狭まっていくことを願っています。
(インタビュー2019年5月19日)
サンホセにある国立劇場の内部は、素晴らしかったですね。音響効果もよくて。コーヒーで豊かだった時代です。建築家の仕事は、後世に残るものだと実感しました。
そう、私も大好きな建物です。コスタリカには他のラ米の国にあるあの重厚なコロニアルスタイルの建物がないですけど(当時はへき地だったからでしょうけど)よく見てみると、ミゲルのいうカリブ海風ビクトリアンとか素敵な建物がずいぶんあります。