
「私は自分がとくに反抗的だとは思っていません。社会的な意識があって、人間として、市民として、政治活動に参加するべきだと信じているだけです。政治はすべてに影響します。私たちの生活、私たちの生存にかかわることです。」
2019年の4月の時点で、ニカラグアの政情不安と政府の弾圧を逃れてコスタリカに避難している人びとが5万5千人に上っていると報告されています。これは、従来の経済的な理由での移民とは違った、新しい現象です。
この政情不安の最初の発端は、ニカラグアのカリブ海側にある、インディオ・マイス(Indio Maiz)という自然保護区域で2018年の4月に起こった山火事でした。環境保護運動家たちによると、三千ヘクタール以上の森林が破壊され、政府の対応の不十分さに抗議して、4月13日に何百人もの大学生たちが抗議デモをおこしました。政府側は暴力をもって、デモを鎮圧します。
4月16日に政府は、社会保障制度の改革法案を発表しました。国民の負担額を増やすことになるこの法案に反対して、4月18日に学生を中心にデモが起こり、これを警察がまたもや暴力的に弾圧したのです。反対運動はどんどん広がり、独裁的な指導者とみられているサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のダニエル・オルテガ大統領と、その妻で副大統領のロサリオ・ムリージョの退陣を求める運動に発展します。
政府側は、未成年の学生も含めて300人以上の反対派活動家を殺害し、600人以上を投獄しました。そののち、国際的な圧力と反対派との対話の結果、大半の政治犯を解放することになります。でもいまだに反対デモの違法化、報道の自由の規制、反対派活動家や彼らの家族への暴力行為や脅迫などの抑圧が続いています。(くわしくはこちら)
ニカラグアの中央アメリカ大学の学生だったマデリンは、民主主義を求める市民運動ののリーダーのひとりです。2018年の8月にコスタリカに避難してきました。彼女とは、私の夫のレオナルドがニカラグアで戦場カメラマンンをしていたころの相棒だったジャーナリストを通じて知り合いました。
ツイッターからはじまる
マデリン・カラカスといいます。21歳です。ニカラグア政府に対する反対運動をはじめたのは、インディオ・マイス自然保護区域の山火事に対する政府の怠慢な対応がきっかけだったんです。ニカラグア政府は、コスタリカがせっかく援助を申し出たのにことわりました。
最初はツイッターで抗議するメッセージを発信していたのですが、このメディアを通じて同じ考えを持っている人たちとつながることができました。以前はお互い知らなかったひとたちです。彼らといっしょに、4月13日に、中央アメリカ大学でデモを組織したんです。教室を回って、学生たちに呼びかけて、全部で400人ぐらい集まりました。みんなでカンパして、スピーカー付きのトラックを借りて、音楽を流しながらデモをしたんです。もうそのときから政府の弾圧ははじまりました。機動隊やサンディニスタ支持派のグループを動員して攻撃してきたんです。
4月16日に政府が社会保障制度の改革を発表しました。これに抗議するために、インディオ・マイスのデモに参加した学生たちと、5年前に、#ocupainss (高齢者への年金支給を求めて、老人と学生たちが起こした運動。この運動も、政府側が暴力的に鎮圧)に参加したひとたちに呼びかけたんです。私はデモの日には大学でまとめ役を受け持ちました。15人ずつ参加者をまとめて、デモに送り込んでいたんです。
私は最後の15人といっしょに出ようとしたんですけど、その時には警察が出口をふさいでいて出られませんでした。それにサンディニスタ党の青少年組織の団体がやってきて、私たちに石やガラス瓶を投げはじめたんです。警察は彼らに石をわたしてやったりして手伝っていました。しばらくすると、サンディニスタの団体が壁を乗り越えて、大学の構内に入ってきたんです。私は同胞たちと体育館に逃げこんで一時間半ぐらい隠れていました。結局、学生の親たちが車で裏口まで来てくれて、救い出してくれたんです。

このあとは、警察に追われていて家に帰れなかったので、隠れ家で過ごしました。みつからないように、何度も場所を変えたんです。それでも携帯電話とソーシャルメディアを使って、反対運動を支援していました。
私たちの運動は、もともとはいろんな分野の人たちが自発的に集まってはじまったんです。でも、5月に入って、カトリック教会の仲介で政府側と反対派との対話がはじまることになって、もっと組織化する必要がありました。それで、まず「民主主義と正義のための大学調整委員会」(Coordinadora Universitaria para la Democracia y la Justicia)を起ち上げました。そしてこの学生組織から、「民主主義と正義のための市民同盟」(Alianza Cívica para la Democracia y la Justicia)の発足に参加しました。この同盟は学生、農民、学者、宗教者、民間企業など、いろいろな分野の人たちが加わっています。
全身から犠牲者たちの名前を叫ぶ
5月16日に対話がはじまりました。反対派側からは、二人の男性が代表に選ばれて、彼らだけがしゃべることになっていました。私たちの半分以上が女性なのにです。だから私はしゃべらないことになっていたんです。でも対話のなかで、オルテガ大統領が、「人が殺されたなんて嘘だ」といったんで、これは何かいわなくちゃ、と思いました。それで、急いでフェイスブックを通じて友だちに呼びかけて、犠牲者のリストを送ってもらったんです。
私は55人の犠牲者一人ひとりの名前を体全体でさけびました。そうしたら前につんのめりそうになったので、友人たちが私の腕やずぼんをつかんでささえくれました。そして、一人ひとりの名前を読むたびに、その場にいた学生たちが「Presente!」(ここにいる、あるいは心の中にいるという意味)とさけんだんです。そのおかげで、犠牲者のリストを読み上げるという行為がみんなのものになったんです。象徴的でした。私たちの声以外その場はシーンとしていました。私たちをずっと支援してくれていた、カトリック教会のシルビオ・バエス補佐司教は泣いていました。
この最初の対話のあとに、オルテガ政権の弾圧を告発するために学生グループとヨーロッパに行ったんです。ひと月しか滞在しない予定だったんですが、ヨーロッパ在住のニカラグア人たちがバザールをやったり、寄付を集めたりしてくれたおかげで、三か月で25の町を回ることができました。ところがいよいよニカラグアに帰ろうというときに、私たちに対する逮捕状が出ていることがわかったんです。ヨーロッパに残った友人もいましたが、私はもっと近いところから運動を支援し続けたかったのでコスタリカに来ました。
今の私の仕事は、農民の人たち、地域のリーダーたち、LGBT運動など、いろいろな市民運動の間の連帯を築くことです。コスタリカに逃げてきた人たちと集まったり、ソーシャルメディアでメッセージを発信しながらの仕事です。これからの目標としては、もちろんオルテガ夫婦が出ていくべきだと思いますけどそれだけでは不十分です。今までとはちがった理想のもとに国を建て直さなければなりません。オルテガだけでなくたくさんの腐敗した政治家たちがニカラグアを支配してきたのは、それを許すような制度ができあがっていたからです。その制度自体を変えなくてはなりません。過去を忘れないこと、そして正義を求めることが大事です。これは短期間で実現できることだとは思っていません。愛する人を失った人たちにとってはつらいですけど。
政治参加は市民としての責任
正義を実現するためには教育が必要です。そして心理的、社会的なきずをいやさなくてはなりません。最初のサンデイ二スタ革命にはこれが欠けていたと思います。だからニカラグア社会はこんなに分裂ているんです。反対派から見たサンディニスタたちは殺人者、彼らからみた私たちは悪人。こんな状態からどうやったらともに生きることができるようになるでしょう。右派であるか左派であるかで人を判断するのではなくて、まず人権を中心におくべきです。そして正義をもとめるときに、今回の弾圧の犠牲者だけでなく、女性たち、LGBTの人たち、先住民の人たちのように、長い間しいたげられてきた人たちのことを考えなくてはなりません。
私は子供のころから芸術活動にたずさわっています。政治活動のためにここ一年間ほど中断していたので、これからはもっと、絵や彫刻やパフォーマンスを通じて政治にかかわって行きたいと思っています。もっと若いころ、マナグアのお金持ち向けのショッピングモールでパフォーマンスをしました。消費文化を批判するために、子供のふりをして、宝石店で高い品物につばをはいたり、ウィンドーをなめたりしてまわったんです。追い出されてしまって、しばらくはこのモールかれは追放されていました。
うちはお金持ちではなかったので、私は奨学金をもらって、ニカラグアでトップの私立の学校に通っていました。でもあと一年で中学が終わるというときに、反抗的すぎるという理由で退学処分になったんです。しゃべりすぎる、自分の意見をいいすぎる、ということで。
でも私は自分がとくに反抗的だとは思っていません。社会的な意識があって、人間として、市民として、政治活動に参加するべきだと信じているだけです。政治はすべてに影響します。私たちの生活、私たちの生存にかかわることです。それに私は子供のころから母に、自分が正しいいと思ったことをつらぬくように、そして人権と人間の尊厳を守るように教わりました。

コスタリカに感謝、でも毎日ニカラグアを思う
コスタリカには感謝しています。私に安全な場所を与えてくれました。それにコスタリカの人たちは私たちの活動に貴重な支援をしてくれています。たとえば、コスタリカ大学の先生たちが、「ニカラグアから亡命してきた若者の共同体」というグループを起ち上げてくれたり。でもこの国は私にとっては居心地のいい場所ではありません。私は望んでここに来たわけではありませんし。いやおうなしに、家族や友だちや、大学での勉強もすててここに来なくてはならなかったんですから。今までの生活を根こそぎ奪われたようなものです。毎日ニカラグアや家族のことを思います
コスタリカでの生活費はニカラグアの80以上ある市民団体が援助してくれてます。でも今のところ資金が底をついていて、友人とシェアしている家の家賃をどうやって払うか心配です。
私は難民指定の申請をしていません。観光ビザで来ているんです。難民になるということは長いあいだ国に帰れないということを受け入れなくてはならないからです。
それにコスタリカにはニカラグア人に対する差別があります。私は見かけですぐニカラグア人とわからないので、それほど差別されませんが、色の黒い友人たちは邪見にあつかわれることが多いです。エルサルバドルとかホンジュラスの人たちのほうが親しみを感じます。だからここには長くいようと思いません。アートの勉強もしたいので、メキシコかヨーロッパに行きたいと思っています。
日本の文化や生活にすごく興味があります。もちろん芸術にもとても関心があります。あの筆の使い方、精密さ、デリケートなところ。とくにセクシュアリティーの表現がとても自然で共感します。すごく行ってみたいです!
(インタビュー6月7日)