
「ここには安らぎがあります。これには値段はつけられません。景色もとてもきれいでしょう。夕暮れの風景は毎日変わります。空気も澄んでいますし。都会で一日中オフィスで仕事をしているひとには味わえないぜいたくです。」
夫のレオナルドといっしょに、うちの犬二匹をつれて、ベントレーラ(Ventolera)に散歩に行ったときに、ウーゴに出会いました。ベントレーラとは、突風という意味で、私たちのエスカスの家から車で20分ほど行ったところにある、森におおわれた区域です。木々のあいだを通る、未舗装のでこぼこの道路を15分ぐらいのぼっていくと、野原に出ます。そこではたしかに、いつも強い風が吹いています。
その日、でこぼこ道路の入り口のところにある農家でウーゴを見かけて、前回のエドガーのように、知らない人に話しかけるのが好きなレオナルドが声をかけたのです。しばらくおしゃべりしたあと、ウーゴが「どうぞ、どうぞ」と言って、彼の農場を見せてくれました。農場といっても、裸のままの土のうえに、ちぐはぐの木材で建てられた家と、動物用の小屋がいくつかたっているだけです。その辺を犬や豚やにわとりが、うろうろ歩いていました。
その数日後、ウーゴが自分で建てたという家で、ゆっくり話を聞きました。家は二軒にわかれていて、私が招かれた、野外に開け放され建物は台所と食堂、丘をちょっとのぼったところに小さな寝室用の小屋があります。私が座ったテーブルのそばにあひるが一羽、台所の棚の上には猫が何匹か座っていました。そしていっかくには、大量の材木が山積みになっています。ウーゴの友人が、サンホセの東のほうにある古い家をくれたのだそうで、その家を解体して、材木をここまで持ってきたのです。開け放しのほうの建物に動物がはいってこないよう、この材木を使って閉じるんだ話してくれました。
工場から農家へ
ウーゴ・キロス・モーラ(Hugo Quirós Mora)といいます。63歳です。ここに越してきてから10年になります。生まれはサンホセの西のプリスカルです。
私はもともとは、産業機械工なんです。サンホセのとなり町のアラフエリータのネッスルの工場で働いていました。でも退職してからは、いなかに住みたくて、カリブ海に近いシキーレスで、土地を借りて農業をはじめました。でも地主とトラブルがあって、弁護士に相談に行ったら、その弁護士が、ここに土地を持ってるから使ってくれというんです。どうせほったらかしにしているからただでいい、と。
最初にここに来たとき、土地は森におおわれていて、それを自分で切り開いたんです。家畜だけを育てています。畑をもつのは大変なんでね。シキーレスでは一年中作物が育ちますけど、ここは一年のうち半年だけです。今は牛が12頭、豚が25ひき、やぎが12匹、にわとりが100羽、そしてあひるが30羽います。七面鳥も何羽か飼いはじめたところです。
牛は市で売りますけど、にわとりと豚は、ここにひとが肉を買いに来るんで、自分でさばきます。でも動物たちに対してどうしても情がわくので、つらいです。とくに子牛を売るときは心が痛みます。
犬と猫がたくさんいるでしょう。ひとが捨てていくんです。ある朝起きたら8匹も新しい犬がいました。腹を減らせているのが見ていられないので、ほっておけないんですよ。食べ物は、動物の餌を売っている店で仕事をしている知り合いが、賞味期限が切れそうになっているものをただでくれるんです。

お金では買えない安らぎ
妻のマルタが犬と猫とやぎの世話をしています。彼女の手助けなしではやっていけません。マルタはある日ここに来て、いついてしまったんです。というのは、週末によく町からひとがきて、うちの台所を使って、まきで料理をするんです。その方がおいしいですし、普通の台所ではできないですからね。それで、ここで昼食を食べて帰るんです。マルタはそういう一行のひとりだったんですが、そのまま残ってしまったんですよ。彼女の息子も二人いっしょに住んでます。ひとりはコールセンターで働いてて、もうひとりはまだ子供です。
こういう生活をしていて、もちろん大変なこともあります。ときどき三か月ぐらいも何の収入もないときがありますよ。二年前には大きなハリケーンが来て、100羽ぐらいにわとりがとまっていた木が倒れてしまって、にわとりは逃げて一羽ももどってきませんでした。友人から家をもらったことだって、大変といえば大変です。遠くまで行って、自分で家をばらして、ここに材木を運んで、組み立てなくてはならないんですから。でも建て終わったときには満足感があります。ものごとが大変がどうかは、受け止め方によりますよ。
ここには安らぎがあります。これには値段はつけられません。景色もとてもきれいでしょう。夕暮れの風景は毎日変わります。空気も澄んでいますし。都会で一日中オフィスで仕事をしているひとには味わえないぜいたくです。それに、我々人間も、動物たちも天然のものしか食べません。牛ややぎは人工的な餌じゃなくて草をたべますし、雑草を退治するのには農薬は使わずにマチェテ(山刀)でかります。だから私は病気もしません。いち時ひざが痛んだことがあったんですが、知り合いがアボカドの種を煎じたお湯を飲め、というので、そうしたら数日で治ってしまいました。
老後はもちろん心配です。年金も健康保険もないのでね。ネッスルで働いていたときも、契約制の仕事だったんで、会社は社会保障公庫に払い込む義務がなかったんです。でも神が必要なものを与えてくれると信じています。神様のおかげで10年間ここで暮らすことができました。それだけでも幸せなことです。
台所の猫 薪を使ったオーブン 七面鳥のピピ ウーゴの家から見た景色
もし教育を受けていたら
学校は六年生までしか行ってません。家が貧しかったんでね。でも幸い神様に機械工の才能を授かったんで、私よりずっと教育をうけた人でもできないことをやってのけましたよ。たとえば、ネッスルにいたころ、工場の一部に水漏れが出て、会社が何人ものエンジニアをつれてきて修理したんですが、二、三日後にはまた漏れはじめたんです。それで私が問題の機械をよく調べてみて、自分で継手をつくって完璧に直しました。みようみまねで覚えて、これだけできたんですから、ちゃんと教育を受けていたらどれだけ成功していたか。
コスタリカは、平和とか人権とか環境保護を大事に思っているひともいますが、まだまだ教育が十分ではありません。たとえばゴミの問題です。コスタリカ人は平気でそこら中にゴミをすてます。(たしかにでこぼこ道のわきにも、ところどころゴミがすててありました。)
私の両親の時代とくらべると、生活はよくなっていると思いますが、昔のほうがよかったところもあります。昔の人は、やると言ったことはかならずやりましたけど、今の人は信頼できません。それに、以前はひとがお互いに助け合ったものですが、今はみんな自分のことしか考えません。でも私は助け合いの精神をまだ大切にしています。
日本にはいつも感心します。日本のひとはとても多彩で、とにかくいろんなものを作る才能があるんですから。それに何でもやすやすと作ってしまう。まあ、そのための財力があるんでしょうけど。
日本のひとに私の生活について知ってもらうのは嬉しいことです。楽ではないけれども健康的な生活だということを知って欲しいです。日本の田舎はどういう風なんでしょう?見てみたいですね。
(インタビュー2019年8月9日)
素晴らしい自然の中を犬を連れて夫婦で散歩して、こんなに素敵な人に出会えるとは、人生最高の幸せですね。コスタリカ人がごみをあちこちに捨てるのか、この目で確かめてみます。
こちらにいらしたときに、一緒に行きましょう。