先住民の権利のために戦うマ―ジョリー

「 この仕事ができて本当にしあわせです。ひとを助けることでお給料をもらっているんですもの。それに助けるといっても慈善事業や親切心からやっているわけではありません。ひとが人権を行使できるよう働いているんです。」

マ―ジョリーに出会ったのは、私がコスタリカの国連事務所で働いていた時です。2012年の10月に赴任してすぐ、当時の副大統領のアルフィオ・ピバ氏によばれて彼の事務所に出向きました。そこで、政府がコスタリカ南部、ブエノスアイレス地域の先住民コミュニティーに対話をもとめるため国連の仲介を依頼されたのです。

私が赴任する一年以上前に、コスタリカ電力公社(ICE)がブエノスアイレスで大型ダムの建設に向けて準備をはじめました。これに対して、地域の先住民たちが反対運動を起こしたのです。そのためダム計画は中断されました。でも先住民たちが政府に対し強い不信感をもっていたため話し合いがおこなわれず、問題は解決されないままになっていました。

同僚たちと相談したうえで、副大統領の依頼を国連だけで引き受けるのではなく、コスタリカのオンブズマン事務所の協力を募ることにしました。この事務所で先住民の権利を担当していたのがマ―ジョリーだったのです。

家族とガールスカウトから学ぶ

マ―ジョリー・エレーラ(Marjorie Herrera)といいます。40歳です。オンブズマン事務所に勤めはじめてから18年になりますこの事務所の役割は、コスタリカのすべての住民の人権の擁護と推進です。正式な名前は、共和国住民オンブズマン事務所(Defensoría de los Habitantes de la República)です。(オンブズマン事務所についてもっとくわしくはこちら

私はサンホセの本部の特別養護課という部署で働いています。通常差別をうけているひとたち、たとえば障害者、刑務所に収容されているひと、移民や難民、先住民、アフロ系のひと、LGBTのひとなどの人権を守るのが仕事です。私は先住民を担当しています。

こういう仕事をするようになったのは、私がそだった境遇が影響したのだと思います。私はとてもがんばり屋でシングルマザーの母と、母方の祖母にそだてられました。結婚するまでずっとサンホセの東どなりのクリダバートにすんでいました。四人兄弟の三番目です。

母の弟のひとりが重症の精神障害者で、私は小さいころから彼の面倒をみる手伝いをしていたんです。食事をさせたり、服をきせてあげたり。ときどき暴力をふるうひとだったので、とても大変でした。でもお互いに助け合う、愛情にあふれた家族でした。おかげで、寛容さや忍耐、自分とちがうひとを理解することを学びました。

子供のころから思春期までガールスカウトだったことも、チームワーク、連帯感、社会貢献、自然保護などの価値観を学ぶうえでとてもいい経験でした。ガールスカウトといっても、コスタリカでは男女いっしょなんです。17歳になってからは、先住民文化から名前や思想をとりいれたグループにはいっていました。今の仕事が先住民を対象としているのは嬉しい偶然です。

母はできるところまで私たちの教育を支援してくれましたけど、あとは自分たちで働いて学費をかせぎました。私はコスタリカの大学で国際協力を勉強して、スペインのアルカラ大学のオンラインコースで人権について修士号をとったんです。

コスタリカのオンブズマン事務所と選挙最高裁判所の職員と先住民ノーベ・ブグレ民族の女性たち
ノーベ・ブグレ民族の女性たちと

「だれか」になる権利

仕事では、保健医療へのアクセス、自治権、先住民領土の侵略などさまさざまな問題をあつかいます。

いちばん心に残る経験のひとつは、お年寄りの先住民の男性の名前と国籍を証明できたときのことです。このひとはエドゥビヒルドといって、パナマで生まれたノーベ・ブグレ民族の老人でした。小さいころからずっとコスタリカ南部のブエノスアイレスで暮らしてきたのですが、身分証明書を持っていなくて、そのために必要な手術を受けられなかったんです。それでオンブズマン事務所に助けを求めてきました。

コスタリカでは選挙最高裁判所(TSE)が身分証明書をだしています。そこのデータベースには彼の名前がありませんでした。そこで、こちらのTSEの職員がパナマのTSE事務所まで行って、あちらで出生登録していたことを確かめてくれました。

でも実際に身分証明書の申請をするためには本人がパナマまでいかなくてはなりません。それで私が連れていくことにしたんです。車はオンブズマン事務所が出しました。彼はもちろんパスポートも持っていなかったので、パナマのオンブズマン事務所に協力してもらって特別にパナマへの入国を許可してもらったんです。

パナマのTSEの職員の態度にはとてもショックを受けました。まず、「なんでパナマにくるんだ。ずっとコスタリカにすんでるんだからコスタリカで身分証明をとればいいじゃないか。」というんです。私から、「あなたはこのひとのアイデンティティーと国籍を持つ権利を侵害しているのをわかってるんですか?」といって抗議しました。エドゥビヒルドが電子署名機にサインするときにうまくできなかったら、その職員は「何をやってるんだ」といって叱るんです。本当にひどいあつかいでした。それも私がいっしょにいてですよ。

パナマには、身分証明書をとるのにおかしな規則があって、成人がはじめて市民登録をする場合はだれかその人の保証人になるひとが必要なんです。エドゥビヒルドはずっとコスタリカに住んでいるのでパナマにはだれも知り合いがいません。それで仕方なく私が保証人として署名したんです。当時30代の私が、まるで70歳の老人の親であるみたいに。

それに二回もパナマに行かなくてはなりませんでした。最初は申請をするため、二回目は身分証明書を受け取るためです。でもようやく身分証明書をもらえたとき、エドゥビヒルドは、自分はやっと「だれか」になれた。もうこれで安心して死ぬことができる、といっていました。

これは四、五年前のことですけど、今でもエドゥビヒルドからひと月に一度ぐらい電話がかかってきます。私のことを「ママ」というんです。保証人になってあげたのでね。秘書に「ママいるかい?」ときくんですよ。

この仕事ができて本当にしあわせです。ひとを助けることでお給料をもらっているんですもの。それに助けるといっても慈善事業や親切心からやっているわけではありません。ひとが人権を行使できるよう働いているんです。

夫とも事務所で出会いました。彼は弁護士で、行政と人権に関連した問題を担当しています。ビクトリアという九歳になる娘がいるんですけど彼女は大の人権擁護者です。先住民の権利にもとても関心を持っています。

批判だけでなく行動を           

コスタリカの先住民の状況は進んでいるところもありますが、まだまだ遅れているところもあります。立派な、しかも先住民の文化に適応した病院がある地域があるかと思うと、ごく基礎的な保健サービスも受けられていないコミュニティーがあったり。先住民の権利について、もっと包括的な政策が必要だと思います。そのためには、通常ばらばらに仕事をしている行政機関が話し合って協力しなくてはなりません。そういう場をつくるよう政府に働きかけているところです。

私たちコスタリカ人は自分の国に対して批判的になりがちですけど、よいところを認めてまもる努力もするべきです。たとえば平和を大切にする価値観。今までたもってきた、人権を尊重する福祉国家の将来について懸念が生じています。これに反対する勢力も出てきていますし。だから批判するだけではなくて、行動をとらなくてはいけません。たとえば選挙があるとき、人権の侵害がおきたとき、汚職にたいしても。

人権を指針にすればまちがいないと思います。人間の尊厳を目標にすればすべてよい方向に進むはずです。

(インタビュー2019年10月18日)

先住民の権利のために戦うマ―ジョリー” への2件のフィードバック

  1. コスタリカ人が国の良い所も認めて守る努力も必要 ー 重要ながら言葉ですね。

    1. いつもコメントありがとうございます!私もそう思います。国連で仕事していたころ、これが私たちの大事な役割のひとつだと思いました。その国の人たちは悪いところばかりみる傾向があるので。そしてそうするとものごとをよい方向に変えて行こうという意思や希望が崩れてきてしまうので。だからしょっちゅう「この国にはこういういいとことがある、こんなすばらしい成果もあげてる」といって励ましてました。

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