
私はなんとかやっていきます。神様は私を決して見捨てません。今日お金がなければ、「神様、あしたの食べ物が買えません」と訴えるんです。するとどこからか知りませんけど食べ物があらわれるんですよ。
今回のお話も前回と同じく、コスタリカの国連開発計画(UNDP)事務所が出版した「仰向けの猫のように」からとりました。首都サンホセの北にある、カルタゴ県トレス・リオスに住むアルバのストーリーです。
父の思い出
アルバ・フリア・モンテーロ・ゴメスです。71歳です。トレス・リオスで生まれました。両親もトレス・リオス出身でした。
父は大きな花農園で働いていて、畑仕事のほかに結婚式のための生け花もをつくっていました。母は主婦でした。私たちは7人兄弟で、私は2番目です。子供のころから兄弟といっしょに、朝4時に起きて農園で働いてたんです。畑に肥やしをまいたり、牛乳をしぼったり、まきをひろったり。あのころの生活がなつかしいです。
私は父といるのが好きでいろんなところについて回っていました。飲み屋さんにいったり、たばこを買いにいくときも、生け花をつくっているときもいっしょでした。ときどき道ばたでよっぱらいが寄ってきて父に、「酒をくれなければなぐるぞ」というんです。すると私は石ころをひろって、「パパに触ったらどうなるかわかってるの」といって脅してやりました。
1948年の内戦のときは小さかったですけどおぼえています。ときどき父が身を隠すために家を出るんで泣いたものでした。私の洗礼にたちあった代父は敵方に回りました。ある日、彼が父をさがしに、戸をけり倒して家にはいってきたんです。私は彼に、「あんたがパパを殺したら私があんたを殺してやる」といってやりました。母はずっと国民解放党(内戦に勝利し側)の支持者でした。父はどちらだか覚えてませんけどたぶん母と同じだったと思います。
農園主が引っ越してしまったので、私たちは今すんでいる場所に移って、ここで父が家を買いました。そしてほかの農園で仕事をはじめたんです。でも父は私が11歳のときに亡くなってしまいました。胃潰瘍の手術をしたあと内蔵がはれつして死んでしまったんです。とてもいい人でした。人間としても父親としても特別なひとでした。働きもので悪癖はなにもなくて。もう亡くなってから57年もたっているのに昨日のことのように思えます。
そのとき母は37歳で、妊娠していて、子供たちといっしょに働きはじめました。私たちがいやがったので、再婚はしませんでした。私は小学校三年生だったんですけど、母が働かせるために学校をやめさせたんです。ほかの兄弟はみんな六年生まで行きました。だから私は読み書きができません。学校は好きだったんですけど。それでも昔の生活は幸せでした。
学校をやめて家政婦に
母は私に家政婦の仕事をさせました。いろんな家で洗濯や料理や掃除をして働きました。何でもやりましたよ。週日と土曜日ずっと働いて、日曜の朝だけ家族に会いに家にもどってきたものです。
14歳のときに家政婦の仕事にあきて、コーヒー農園で働くようになりました。家政婦の仕事は好きだったんですけど畑仕事がいちばん気に入ってたんです。今はもう仕事はしていませんけど、家の小さな庭でクラントロ(パクチー)やレタスやジャガイモをつくってます。これが私の幸せなんです。
私、若いときは踊るのが好きで、ときどき家からぬけだして「コスタリカ」というバーに踊りにいってました。ジュークボックスの音楽でしたけど楽しかったですよ。土曜や日曜はいっぱいになったものです。みんな友だちや知り合いばかりでした。でも兄弟が母にいいつけるんです。すると母がやってきて無理やり家に連れもどされてぶたれました。それでもその前に2,3曲すきな歌にあわせて踊ることができたんで、幸せでした。昔はよかったです。今の子供たちは働きにでられませんものねえ。
そのうち結婚しました。彼はバスの車掌でした。彼の母の家にしばらくいっしょに住んで、義母は私にとてもよくしてくれましたよ。あの人とのあいだには3人子供がいます。でも夫はだんだん仕事をしなくなって、私をなぐるようになったんです。それで結局離婚しました。そのとき私は二十歳でした。
また母の家にもどって、子供を母にあずけて家政婦のしごとをはじめました。そしてまた家政婦にあきて農場でのしごとにもどったんです。
下の子供たちの父親には踊りにいって会いました。最初の夫とのあいだに3人、そしてこのひととの間に3人子供がいるんです。2度目の夫の子を妊娠したときに、彼がいっしょに暮らそうといいだしました。私は彼にこういいました。「あなたがもう私と暮らしたくないと思ったときは正直にいってくださいね。私も正直にいいます。あなたが私を裏切ったら私は出ていきます。そのときは、ほかの女が好きになったから出ていく、といってくれればいいんです」
サンホセの東のグアダルーペに20年間この人といっしょに暮らしました。とても責任感のある人でした。家でいっしょにおもちゃを作ってデパートや個人のお客に売って、私はそのほかにアイスクリームやお菓子を売って暮らしていました。

植物に話しかける幸せ
20年間もいっしょに暮らしたのに一瞬でぜんぶなくなってしまいました。私が家ではたらいているあいだ、あの人はほかの女と会っていたんです。彼のあとをついていって、女と会っているレレストランまで行きました。「ここまでよ。この本はもうおしまい。もう二度と開かないわ」といったんです。それで終わってしまいました。
別れたとき私はもう50ちかくなっていて、いちばん下の娘が3歳でした。また母のところにもどって、4番目と5番目の息子たちといっしょに農場ではたらきはじめたんです。ふたりとも学校は6年生までいきました。長男と次男は結婚しました。次男が結婚するといいに来たとき、「うっかりして子供ができたのね」といったらびっくりしましたけどね。「ちゃんと責任をとって結婚しなさい」といってやりました。そして、「もしほかの女といっしょにいるところをつかまえたら承知しないよ」ともね。
20年ぐらい前に病気が出はじめました。最初は糖尿病でした。一日に2回インスリン注射を打っています。そのほかにも高血圧、動脈硬化、骨粗鬆症があります。それで結局引退することにしたんです。しごとは一切やめました。
老齢と障害年金を毎月10万コロン(約1万9千円)ちょっともらってます。無拠出年金じゃないですよ。私は社会保障公庫に払い込んできましたから。でも電気代と電話代を払うだけで半分なくなってしまいます。それに社会保障公庫が出してくれないぬり薬は自分で買わなくてはならないんです。これがないと手のいたみがひどくて夜中に目がさめることがあるんです。「神様、病院に行って手を切り取ってもらいたい!」と思うほどね。
子供たちの父親たちには何もねだったことはありません。そのおかげで、顔を天に向けて、誇りをもって道をあるけます。子供たちにも何も頼みません。彼らも貧しいですから。長男は家の改築のしごとをしている土建業者です。もうひとりは管理人、もうひとりもやっぱり土建業者です。とにかくしごとが見つかればなんでもやります。だれも悪癖がないのが幸いですね。
私はなんとかやっていきます。神様は私を決して見捨てません。子供たちの父親と別れたとき神様にこういったんです。「神様、私はあなたといっしょに行きます。あなたの手をとります。もう男はたくさんです。でもぜったい私が食べていけないようにはしないでくださいね」と。だから一度もお腹をすかせたことはありません。今日お金がなければ、「神様、あしたの食べ物が買えません」と訴えるんです。するとどこからか知りませんけど食べ物があらわれるんですよ。
今は母の家には妹が彼女の娘たちと住んでいます。母が彼女に遺産として残したんです。私は母といっしょに近くの貸家に引っ越しました。あちらの家では動物を飼えなかったんでね。それにもうすぐ彼女が亡くなると思うと母のいない昔の家に住みたくなくて。
この家には12年前にうつって、母は8年前に亡くなりました。末娘がいっしょに住んでます。男とまちがいを起こして、小さい子供がいるんです。男は子供が生まれてすぐいなくなってしまいました。私は今、孫が23人とひ孫が5人いて、あともうひとり、じきに生まれるんです。
ここではコスタリカ・カナダ財団が援助をしてくれています。新しい家を建ててくれるというんですけど、ここから坂をあがったところで、分譲住宅なんです。きっとそんなところに移ったら牢屋にいれられたように感じると思うんです。だから私はここから動きたくなくて。ここでは自由に自分の好きなように暮らせます。あっちに移ったらきっと静かにしてなくてはならないでしょうし、近所のひとが酔っぱらったり大騒ぎをしたりするかもしれませんし。
ここでは自由にあちこち歩き回って、植物を育てて幸せなんです。朝おきると話かけるんですよ。「今朝はみんなご機嫌いかが?」ってね。
落涙を抑えることができませんね!
でも本人が結構あっけらかんとしているのがコスタリカ的ですよね。
Gracias por este relato conmovedor. Alba es libre a pesar de su pobreza, tiene confianza a pesar de haber sido engañada y ama a pesar de haber sido abandonada. Su relato muestra en cada línea los sentimientos y la lucha de una mujer, que como tantas otras, está llena de bondad, entrega a sus hijos y compromiso con la vida en todas sus formas.
Gracias Jorge Enrique! Tienes razón. También es una mujer con una inmensa capacidad por la felicidad. En eso me parece muy tica.