弁護士ビッキー:いちばん大切なのは内なる平和

「人生でいちばん大事なことは人間として成長することだと思っています。自分をよりよく知り、自分に忠実であること、日ごとによりよい人間になること、自分自身のなかに平和をみつけることです。」

ビッキーと会ったのは、私が国連にいたころです。コスタリカ政府と先住民リーダーたちとのあいだの対話のファシリテーションをはじめたときでした。ビッキーは、政府側の最高責任者である第二副大統領のもとで、大統領環境委員会の書記長を務めていました。対話の主要な課題のひとつがコスタリカ南部に建設されるダムの、先住民領土への影響でした。環境にも密接にかかわる問題だったので、ビッキーがときおり活躍したのです。

反抗的な女の子

マリア・ビルヒニア・カヒアオ(María Virginia Cajiao)といいます。49歳です。私は5人兄弟の末っ子です。すぐ上の兄が生まれて10年たってから生まれました。母は当時37歳だったんですけど、私を身ごもったとき更年期にはいったのかと思ったそうです(笑)。

姉や兄たちとは年があまりに離れていたので子どものころはよくひとりぼっちでした。おかげで小さいころから孤独をハッピーに過ごすすべを学びました。でもその反面とても社交的でだれにでも話かけるんですよ。

子ども時代はまるで母親がふたりと父親が四人いるようでした。姉も兄たちもずっと年上なのでしょっちゅう私にお説教するんです。父はとくに保守的で、私がなにかあたらしいことをしたいというとすぐ「ダメ」といいます。「どうして?」と聞くと、「お前は女の子だから」というんです。おかげで運転免許も父が亡くなったあとに、23歳でとりました。

でも母はむしろその逆で、「結婚なんかするんじゃないのよ。勉強して職業をもって男にたよらずに独立して、好きなように生きられるようにするのよ」といつも言っていました。「私みたいに子どもをたくさん産んだりしたらだめよ」とまでいうんです。

私は家があまりに保守的だったので、かえって反抗的になりました。思春期のころから社会のあり方を変えようとする活動に加わりはじめたんです。高校時代は環境クラブにはいって、リサイクリングや動物保護の運動をしました。そのころいつもいっしょだった友だちのひとりは、いまだに親友です。彼はゲイなんですけどLGBTの人たちの人権運動にも彼といっしょに参加しました。学校で彼はよくいじめられたので、まもってあげたものです。

法律を勉強したいと思ったのは、テレビで「Alma Mater」(母校)というイギリスのシリーズを見てからです。伝統的な白いかつらをかぶった弁護士がでてくる番組でした。コスタリカ大学の法学部にはいって、刑法を勉強しました。勉強自体はとても面白かったのですが、いざ現実の刑法の世界にはいってみたら全然すきではないということがわかったんです。卒業する前に社会奉仕をする義務があって、半分は公選弁護人事務所、半分は検察庁でしごとをしました。それで、女性を強姦したような犯罪者とかかわったり、裁判にでたり、ひとを刑務所におくったりするしごとは自分に向いていないことがわかったんです。

先住民と環境問題に没頭

ちょうどそのころコロンブス到来の500周年記念で、先住民の権利を主張する運動が起こって私も参加しました。1992年のことでした。先住民領土に住む人たちがようやくこの年にコスタリカ国籍と選挙権を勝ち取ったんです。これは本当に国としてはずかしいことです!カトリック教会による先住民の抑圧を抗議するデモにも加わりました。私の家族はみんなとても敬けんなカトリックなので、家ではこれが大変な議論になって。私も信者ですけどカトリック教会にたいしてはいろいろ批判があります。

この運動に加わったのがきっかけで、1991年に先住民の権利の推進をしているNGOでボランティアをはじめました。とくに、カリブ海側南部のタラマンカ地方に住むブリブリ民族の村をよくおとずれました。山の中をいちにち歩かないとたどりつけないような村にも通ったものです。卒業するまでボランティアは続けました。同級生はみんなサンホセの弁護士事務所に就職が決まっていて、「あなたそんなことをしていて時間のむだじゃない?」といいます。母も私がスーツを着て最高裁判所の階段をのぼっていくすがたを夢見ていたので、がっかりしていましたよ(笑)。

先住民との仕事のひとつが、新しく発布された森林法と野生動物法を彼らに説明することでした。まず法的な専門用語から普通のわかりやすいスペイン語になおして、それを今度はブリブリ語に訳してもらわなくてはならなくて。なるべく先住民の人たちにわかりやすいように、いろいろ努力したおかげでコミュニケーションがじょうずになりました。

これがきっかけでだんだん環境法専門のしごとをするようになったんです。最初の有給の仕事はタラマンカで出会ったオランダ人の知り合いが紹介してくれました。米州開発銀行のプロジェクトで、中央アメリカ諸国の環境法を調和させる試みでした。そのあとも環境関係のいろいろなNGOや財団で弁護士として仕事をしました。

貴重な経験のひとつはコスタリカ領土内での石油踏査を阻止したことです。1997年にホセ・マリア・フィゲレス大統領が、「持続可能な開発」の名のもとに、アメリカの石油会社から、カリブ海沿岸地域での石油踏査の入札を募集しました。四つの地域で踏査をおこなう予定で、そのうちのふたつが先住民領土だったんです。私は世界環境同盟という環境法専門の弁護士のネットワークと組んで反対運動をすすめました。最終的には憲法法廷が踏査権を無効にする判決をだしたんです。理由は、政府が先住民領土での石油踏査を許可するにあたって、住民の協議の権利をおかしたことです。よって、国際労働組織(ILO)の原住民および種族民条約第169号に違反したということでした。

この反対運動にかかわるまでは海に関連した問題や法律についてはなにもしりませんでした。ところが石油の採掘のために指定された四つの地域のうち、ふたつが海洋区域だったのでそこから海洋環境問題に深くかかわるようになったんです。サメやウミガメの保護とかもふくめて。ステファン・シュミットハイニーというスイス人の大富豪で環境活動家がいます。彼がMarviva(生きた海)という海洋環境保護のための財団をコスタリカで起ち上げたときに、法的な認定を担当しました。それから8年間Marvivaの弁護士としてラテンアメリカあちこちではたらくことになります。パナマやコロンビアに事務所を開設したり、各国の政府と交渉したり、国立公園の自然保護たちとの協力関係をきずいたり、さまざまな仕事にかかわりました。

いちばん思い出にのこっているのは、国立公園の自然保護官が海岸を夜パトロールするのに同行したことです。ウミガメのたまごが盗まれないように見張るためです。だれもいない海岸を2,3人の自然保護官と私だけで何キロも歩いたのは素敵な経験でした。

でも8年たって、ステファンのパートナーで事務局長だった女性が亡くなって、ステファンも訴訟に巻き込まれて資金も減ってしまい、組織がちがった方向にうごきはじめたので辞任しました。

コルコバード国立公園にて

NGOの世界から政府へ

やめる前にあちこちの知り合いに、新しいしごとをさがしているというメッセージをだしました。その直後に副大統領から誘いをうけたんです。彼はその前に国立生物多様性研究所にいたので、いっしょに仕事をする機会がありました。でもNGOのしごとから政府のしごとにうつるのは大きな変化です。一週間の猶予をくださいとたのんで、そのあいだ家のペンキをぬりかえたりして頭をきりかえました。

最初は大変でした。いちばんつらかったのは、市民活動の仲間たちにせめられたことです。ずっと同胞としていっしょに戦ってきた人たちから裏切り者あつかいにされて、口もきいてくれなくなった人もいます。新しいしごとをはじめて最初の一週間は失ったそれまでの生活や友情をとむらう気持ちで過ごしました。

政治の世界も全然しらなかったので、それに慣れるのも大変でした。でも幸い副大統領は私のことを信頼してくれて、私が思ったようにしごとをさせてくれました。チンチーリャ大統領にはそれまで会ったことがなかったのですが、とても気があって、彼女も私をたよりにしてくれたんです。

チンチーリャ政権のもとでは、水資源についての新しい法案の作成や、ダム建設をめぐっての先住民との問題などむずかしい課題がいくつもありました。でもいろいろ新しいことを学ぶすばらしい経験でした。コスタリカ大学で法学についてとてもいい教育を受けて、弁護士として確かな基盤をきずくことができました。だから新しいこともどんどん学べたんだと思います。いろいろな政治家たちとも出会って彼らとの仕事のしかたもおぼえました。

チンチーリャ政権が終わりにちかづいたときに、副大統領と、つぎのソリス政権の環境大臣に任命されたエドガー・グティエレスとのあいだのひきつぎの会議に同席しました。結局細かい説明はほとんど私がして、会議の終わりにエドガーが私に残ってくれといってくれたんです。それで彼のもとで大統領環境委員会の書記長をつづけることになりました。

新しい政権の多くのひとからは、前政権の、しかも別の政党の残党ということでボイコット同様のひどいあつかいを受けました。まるでおでこに「ラウラ・チンチーリャ」と書いてあるみたいでした。それでも4年間まっとうできたのはエドガーが信頼してくれて全面的に支援してくれたからです。

大統領環境委員会というのは、議長の大統領と、そのほか7、8人の大臣からなりたつ委員会です。国の環境政策を決めるのが使命で、書記長として毎月の会議を招集し、議事録を作成し、委員会できめたことが実際に執行されるようフォローするのが私のしごとでした。法律上この委員会は国の環境状況について報告書を出す義務があるのですが、それまでいちども出したことがありませんでした。エドガーといっしょにこれを作成し、発表したのがソリス政権のもとでのひとつの大きな功績だと思っています。

チンチーリャ政権での成果としては、国家海洋政策の作成があります。それまでは分野によって、たとえば観光について、あるいは漁業について個別の政策があって、総合性がありませんでした。それらをようやく一貫した一つの政策のなかにまとめることができたんです。

環境委員会はいろいろデリケートな問題を検討します。でも私は誰にも借りも貸しもありませんし、なにか特定のビジネスとの利害関係もないので、まったくクリーンで公平にものごとをすすめることができました。まちがったことはまちがっているとはっきり言いましたし。これは評価されたと思います。

ソリス政権の次の政権は今のアルバラード政権ですが、同じ政党なのに前の政権の人たちを敵視していました。それで私も大統領府に残れとはいわれませんでした。でもチンチーリャ政権のもとで住宅大臣だったイレーネ・カンポスがまた同じ役職に任命されて、彼女にさそわれて住宅省でしごとをはじめました。しばらくしてだんだん雰囲気がわるくなってきたのでまたあたらしいしごとを探しはじめました。今度もいろんな知り合いにメッセージをだしたんです。すると監査局にいる知り合いから環境に関連した空きがあるというので応募したらうかりました。去年の8月でした。

環境とエネルギーサービスの監査と評価を担当する部署にいます。私はそこで、監査官として環境省や住宅省などの省庁が、それぞれの目的を法律にしたがってはたしているかどうかチェックするのがしごとです。政府のなかでのそれまでの経験から、こういった機関がどういうふうに機能しているかよくわかっているので、私に対してはごまかしはききません。ただ、行政法にかかわるのははじめてだったのですべてゼロから学ばなくてはなりませんでした。でもお給料をもらって勉強させてもらっているんですから、しあわせなことです。

いままで手掛けた大きなしごととして、環境省が国立公園で売店やレストランをひらく許可を出すプロセスの監査をしました。これは競争入札を通じて正式な契約をむすばなくてはならないと法律できまっています。それなのに、環境省は不透明なやりかたで、競争なしで許可をだしていたんです。報告書にも正式にそう指摘しました。

コスタリカ大統領環境委員会
大統領環境委員会のメンバーたちと

一番大切なのは自分のなかの平和

仕事の面ではいままでの人生にとても満足しています。でもパートナーをみつけるうえでは代償をはらったとおもいます。男のひとはプロフェッショナルな女性を競争相手だとおもいがちですから。ボーイフレンドがいたことはありますが、今はひとりです。

コロナのおかげでここ三ヶ月間は家からテレワークしています。週日は朝5時に起きて、45分間ほどジョギングにでます。シャワーを浴びて、朝ごはんをたべて、7:30から5時か6時までしごとです。早めにしごとを終えられたときは散歩にでます。週に二日は国立大学の授業をオンラインで教えているんです。環境法と環境に関連した紛争の解決についての授業です。土曜日は家のことをやって、日曜日はスーパーに買い物に行きます。

最近、犬を飼うことに決めたんです。以前15年間コッカースパニエルを飼っていて、どこにでもいっしょに連れて行ってたんですけど、チンチーリャ政権のおわりごろに死んでしまいました。さいわい副大統領は獣医さんなので私のきもちをよくわかってくれて、三日間やすみをくれたんです。そのあいだずっと泣いていました。

私はいま都心ちかくのアパートにすんでいるので、こういう環境にはどういう種類がいいかよくしらべて、ボストンテリアという小さめの犬にしました。もう犬は選んであります。ルーナ(月)という名前もつけて、二ヶ月になってからうちにくることになっているんです。

将来の希望としては、あと少なくとも五年間は監査局にいようと思います。できればいまのポストのひとつ上にあがって、監査のしごとの質の管理をやってみたいです。そのあとは何か興味のあるしごとが出てくれば変わってもいいですけど、そうでなければ定年まで監査局にのこってハッピーでいられると思います。

でも人生でいちばん大事なことは人間として成長することだと思っています。自分をよりよく知り、自分に忠実であること、日ごとによりよい人間になること、自分自身のなかに平和をみつけることです。新しいパートナーはみつかればいいですけど、そうでなければそれでいいんです。自分の生活がもうできあがっていますから。毎朝おきて、かがみの中の自分の顔をみて、今自分がしていることに満足を感じています。

コスタリカ人に生まれてとても幸運だと思います。自然にめぐまれていて、環境を大切にする国です。それに自分がのぞんだように生きる自由があることは安心感をあたえてくれます。人権のために戦ってきた歴史のある国でもあります。私にとって、人権というのは選択の自由です。たとえば妊娠して生みたくなければ中絶をえらべること。将来は安楽死を選ぶ権利もみとめるべきだと思います。これから自由をどんどんひろげていければいいと思うんです。

日本にいったことはありませんが、小学校のころ日本人の男の子の同級生がいました。スペイン語があまりできなくてよくみんなにいじめられていて、私がいつもまもってあげていました。日本にはいつか桜の花が咲いている時期にいってみたいですね。

(インタビュー2020年7月11日)

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