
「誰と友だちになるか」というのは人生のなかでいちばん重大な決断のうちにはいると思います。経済学には消費者が一人ひとり、それぞれの好みによってものを選ぶものだ、という概念があります。でも人間は、それ以前にどういうグループに所属するか選ぶものです。そしてそのグループが個人の嗜好もさだめていきます。
神父のおかげで世界がひろがる
私はサンホセ生まれです。母方の祖母を中心にいつも大勢の親せきに囲まれて育ちました。父は広告会社を経営していました。数年前に亡くなりましたが、いつも人間や人生のよいところを見ようとする人で、あいさつがわりに、「何か新しいこと、何かいいこと、何かすてきなことはない?」というのが習慣でした。会社でも従業員全員の名前と、それぞれの家族がどんな問題をかかえているかも知っているようなひとでね。
学校にあがる前に父が読み書きを教えてくれたんです。会社から持って帰ったデッサン用の太い鉛筆を使って。それ以来本が大好きで、学校に行くようになっても家に帰ってからは、外であそぶ前にまず本を読んでいたものです。学校では勉強がよくできる方でした。今でいえばナードでしたね(笑)。
学校は小学校から高校まで、ラ・サール修道会のカトリック系の学校でした。そこら中にスペインの独裁者のフランコの写真がかかっているような、とんでもなく保守的なところでした。でもそこでフェルナンド・ローヨという、強い社会的意識のある神父に出会いました。彼が指導していたクリスチャンの青年団にはいって、自分の身の回りだけでない、もっと広い社会が見えるようになったんです。パドレ・フェルナンドのおかげで貧困や不平等について考えるようになりました。ラテンアメリカでは解放の神学が盛んだったころで、私も感化されました。妻には青年団の会合で出会ったんです。
ただ、15歳になったころ信仰をすてました。とくに大きな事件があったわけではありません。人間は「神に似るように、神の形に造られた」といいますね。いろいろな宗教について勉強して、これは逆だ、という結論にたどり着いただけです。神は、人間が自分に似るように、自分の形に造ったのだ、と。
だれと友だちになるかは重大な決断
コスタリカ大学で経済学を勉強しました。入学した当初は、ばく然と経営を学んで父の会社で働こうかと考えていたんです。でも「経済の基本」という講座の最初の授業で進路を変えてしまいました。教授が、一人ひとりの学生に、専攻は経済か経営かどちらか言えといいます。すると、「経済」と答えた連中のほうが面白そうだったんです(笑)。それで経済専攻に決めてしまいました。
「誰と友だちになるか」というのは人生のなかでいちばん重大な決断のうちにはいると思います。経済学には消費者が一人ひとり、それぞれの好みによってものを選ぶものだ、という概念があります。でも人間は、それ以前にどういうグループに所属するか選ぶものです。そしてそのグループが個人の嗜好もさだめていきます。
大学では、さまざまな勉強グループがあって、むしろ教室でよりもこういったグループのなかでの議論を通じて学んだことのほうが貴重だったと思います。私がいちばん影響を受けたグループには経済学部の学生だけでなく、政治学、法律、建築などいろいろな学部から学生が集まっていました。彼らと、貧困や開発問題を研究し、議論することによって批判的思考を学びました。また、このグループを通じて社会主義的な学生運動にも参加するようになったんです。
3年生になって、学生が教授になる、という実験に参加しました。クラウディオ・グティエレスという有名な哲学者がはじめたもので、「国の現実」というセミナーを教えることになりました。おかげで教育学についても必死に勉強しなくてはなりませんでした。パウロ・フレイレとかピアジェの本を読んで、教えるためにはまず生徒を理解することからはじめなくてはならないということを学びました。そして学生とのコミュニケーションは一方通行であってはいけないということも。とても貴重な経験でした。
コスタリカ大学を卒業して、ニューヨークのニュースクール大学で修士号と博士号をとりました。そしてコスタリカにもどってからは国立大学で教えはじめました。コスタリカ大学の経済学部は新古典派的な考え方が優勢で、国立大学のほうがマルクス主義やケインズ経済学に対してよりオープンだったからです。
(次回に続く)
(インタビュー2021年2月2日)