
「コスタリカでは選挙があるたびに、ここの人たちが暴力を恐れる必要なくそれぞれの政党の旗を振っているでしょう。それを見て、これが民主主義なんだ、と思います。」
ハスミンは、私が国連で仕事をしていたころから時々お世話になっている、Hands and Feet(手と足)というネイルサロンのオーナーです。ハスミンがコロンビア人だということは、だいぶまえに一度聞いて知っていました。そして私が国連にいたころはほかにもひとりか二人コロンビア出身のネイリストがサロンで働いていました。今は、コロンビア人はハスミンと彼女のお母さん以外はいなくなって、ベネズエラのネイリストがひとり働いています。
コスタリカは、エクアドルに続いて、ラテンアメリカで二番目に難民を多く受け入れている国です。 国連難民高等弁務官事務所によると、2016年の時点では、四千人ちょっとの難民がコスタリカに住んでいて、その大半は内戦を逃れてきたコロンビア人でした。でも2019年4月には、ニカラグアの政治危機と政府の弾圧を逃れてきたひとの人数だけで5万5千人にのぼっていました。日本の難民の数が2016年の時点でほぼ2500人だったことを考えるとコスタリカにとってのこの問題のスケールの大きさが見えてきます。
難民としてコスタリカへ
Jazmín Quiñones Chico(ハスミン・キニョーネス・チコ)といいます。45歳です。コロンビアの首都のボゴタで生まれました。父はミュージシャンでした。バイオリンや、いろいろな楽器を独学で学んだ人で、先生をしたり、ナイトクラブで演奏したりもしていました。母は当時は主婦でしたけど今はこのサロンで私といっしょに働いてくれています。子ども時代のことはあまり話したくないんです。両親が離婚したことでつらい思い出が多くって。学校はカトリックの尼さんのやっている学校に行きました。すごくきびしいところで、よくものさしでぶたれたものです。学校の庭の桃をとって食べたときとか、タイプライターの練習でまちがいをしたときとか。いい思い出は母が学校に熱いココアをポットに入れて、ときどき持って来てくれたことぐらいかしら。
コスタリカには十八年前に来ました。父がゲリラに恐喝されていたので、難民として受け入れてもらえたんです。当時私ははボゴタの美容院やお客さんの家に行ってネイリストの仕事をしていました。お客さんのひとりがやはりゲリラに狙われてコスタリカに移住したんです。その人がこちらでサロンを開くから仕事をくれるというのでコスタリカに来ることにしたんですけど、結局その話はだめになって、ほかのいろいろなお店で働くことになりました。何年間かそれを続けて、やとわれ仕事のいろんな問題にうんざりしていたら、お客さんのひとりが「自分のサロンを開けばいいじゃないか」と言いだしたんです。その人がいい場所をみつけてくれて、家賃も安くするように交渉してくれて自分のお店を開くことになりました。2008年です。そのお客さんは今は私の親友で、兄弟のような存在です。
コスタリカの人たちは私のことをとても暖かく迎えてくれました。親しくなるのには時間がかかりますが、ここでは本当の友情を見つけることができました。お店を開く手助けをしてくれた彼みたいにね。とても誠実な人たちです。

こちらに来たときは独身でした。ここでコロンビア人の男性と出会って、結婚したんですけど、結局別れました。私はいつも前に進もうとする性格で、貧しいから出来ない、という考え方はうけいれられないんです。でも彼は野心のない人で、私が仕事のうえで成功することをよく思っていませんでした。子供ふたりは私が引き取りました。17歳の娘と16歳の息子です。
娘はソフィアと言って、努力家でまじめな子です。障害児の世話や教育の仕事に興味を持っています。息子はトマスと言います。このところ学校になじめなくて家に引きこもりがちなんですけど、店をよくてつだってくれます。ここの仕事が好きなんです。でも規律のない生活はよくないと思うので、どこかほかで出来るちゃんとした仕事を今さがしているんです。一時コロンビアの軍隊に入れようかとも思ったんですよ。でも頭のいい子で、私はたぶんトマスの方がソフィアより伸びると思うんです。彼の方がいろいろな可能性に対してオープンなので。本人は将来DNAの研究をして老化をふせぐ方法を考え出して億万長者になるって言ってます。私はお金より価値観の方が大事だと思うので、「何でもいいけど努力して何かを達成することが大切なのよ」といつも言っているんですけど。
サロンの仕事は情熱を持ってやっています。他の職業は考えられません。私は学校で正式な訓練を受けたわけでは無くて、いろいろなサロンで仕事をして、見よう見まねで覚えたんです。よいテクニックをつかっている人を見たら、それを自分で取り入れてしまうんです。いつもどうしたらお客さんにもっと喜んでもらえるか工夫しています。コーヒーを出してあげたり、音楽をかけたり。それにマニキュアやペディキュアのテクニックや足のケアーについてのセミナーにも参加しています。いつも前に進むことを考えているんです。
前を向いて
でも今はサロンにお客さんが十分はいらなくてちょっと危機的な状態なんです。このために、色んな犠牲を払ってせっかく家を買ったのに支払いができなくなってしまって、出て行かなくてはならなくて。昨日なんか息子があまりの不安で泣き出してしまって、「お母さんは何をやってもダメにする」と言って私のことを責めるんです。父親とはなればなれになっていることも影響しているんですね。私はクリスチャンですけど、神様は私が完璧を目指して努力するように、いろいろな試練をつきつけてくるんだと思っています。努力をしながら学ぶこと自体が成功だと私は思うんです。人間は何も持たずに生まれてきて、何も持たずにこの世を去るんですから。だから息子には、私のまちがいから学びなさいって言ってます。
この仕事で一番大変なことは人をつかうことです。みんながみんな私と同じように情熱を持って働いているわけではないですから。お客さんがもっとはいらないのはひとつにはみんな私にネイルをやって欲しがるからなんです。でも私ひとりでお客さんみんなを見ることはできませんし。でも嘆いていても仕方がないですから前を向いて問題の解決策をさがすしかないんです。
コスタリカは私に色々な機会をあたえてくれました。コロンビアには一年前にいちどだけ帰りましたけど、すぐにコスタリカがなつかしくなってしまいました。ここの山々や暖かい気候やのんびりした雰囲気や治安の良さが。コスタリカでは選挙があるたびに、ここの人たちが暴力を恐れる必要なくそれぞれの政党の旗を振っているでしょう。それを見て、これが民主主義なんだ、と思います。でもコロンビア政府とゲリラとの間の平和条約には反対です。ゲリラはあんなに人を殺したり、誘拐したり爆弾を仕掛けたりした罪をつぐなうべきです。
日本については、ケンジ(横井研二)という半分コロンビア人、半分日本人のモチベーション・スピーカーのビデオを見て、何でもよりよくしようと努力をする国だという印象があります。価値観をとても大事にする国民です。でも日本人は孤独のようですね。このケンジは、自殺を試みた日本の若者をコロンビアに連れていく活動をしています。あちらの人々の温かみに接することでひとりじゃないということをわかってもらうのが目的なんです。きっと日本ではおたがいを尊重しすぎて距離をおいてしまうんじゃないかしら。コロンビアやコスタリカでは全然尊重してくれないですから(笑)。
(インタビュー2018年11月19日)