コスタリカから世界を目指すゲームデザイナー、ゲンジさん

「コスタリカにはいいところがたくさんあります。軍隊がないこと、よい教育制度、いい気候、フレンドリーな人びと。でも心配なのは、有能なひとたちが国を出て行ってしまうことです。 多分ぼくはいずれはコスタリカを出ると思います。もともと100パーセントコスタリカ人ではないですし、自分は世界の市民だと思ってますから。 」

ゲンジ(元璽)さんは、お父さんが台湾出身、お母さんがコスタリカ人の、自称「ハーフ」です。日本大使館が開催した、書道ワークショップで彼と出会った日本人の友人に紹介してもらいました。この友人から、日本語をしゃべる台湾系コスタリカ人で、ビデオゲームを作っているひとがいる、と聞いてぜひ会ってみたいと思ったのです。

ゲンジさんが、ご両親といっしょに住んでいる、サンホセの郊外のモラビアのおうちで、日本語で話を聞きました。居間にはいると、壁には漢語の書巻や中国画がいくつかかかっています。ゲンジさんが戸棚をいくつかあけると、いまではアンティークと言える日本製のファミコンや古いゲームがぎっしりとつまっていました。そして廊下に出ると、90年代のアーケードゲーム機がおいてあります。

ゲンジさんの本当の名前は姜元璽(チャン・ユアンシー)といいます。でも本人が、日本人には名前を日本語読みしたゲンジがいい安いのでそれでいいです、と言ってくれたので、インタビュー中ずっとゲンジさんで通しました。

日本のファミコンからゲーム作りへ

ぼくの父は台湾生まれですが、祖父は中国の山東省の出身で、内戦後、台湾に逃げたんです。父は台湾の大学でスペイン語を勉強して、スペインに留学したかったんですが、空きがなかったので、コスタリカに来ました。ここで修士号の勉強をしているときに母に出会って、結婚したんです。

ぼくは子供のころからスペイン語と英語と中国語を聞いて育ちました。中国本土から台湾に逃げたひとたちは、貧しくて、仕事がなかなかったところを、祖父は英語ができたために仕事をみつけたんです。それで、息子も英語をおぼえるように、父にたいしてはいつも英語で話しました。父も子供たちにずっと英語で話してきたんです。母はスペイン語です。学校は、姉も弟もぼくも私立の、英語とスペイン語のバイリンガルの学校に通いました。

父は長年コスタリカ外務省で、通訳をしているんですが、ほかにもいろいろ商売をしてきました。そのひとつが、80年代から90年代にかけて、台湾からアーケードゲームを輸入することでした。それで、ぼくと弟は、小さいころからゲーム機で遊んでいたんです。その多くが日本版で、当時コスタリカにあったものとちがってて、めずらしかったのを覚えています。ゲームの説明書を読もうとすると、漢字が読めても、ひらがなカタカナが読めなくてわからなかったんです。だからゲームがきっかけで、日本語に興味をもちました。本当に日本語を勉強しはじめたのは、18歳になってからですけど。

ぼくは今36歳ですが、16歳ごろから弟といっしょに、自分たちでゲームを作るようになりました。ゲームにひかれたのは、ボタンを押すとキャラクターが動く、そして画面のなかで、自分がストーリーをつくれる、ということです。今でもそれが好きです。

大学はここの私立大学に通って、最初は電気工学を勉強していたんですが、ゲームが売れるようになったので中断してしまいました。ゲームの世界ではとても重要な、Independent Games Festival という、大きなエベントが毎年あります。2008年に、弟とはじめてそこに出したゲームが、ファイナリストに入ったんです。全然期待してなかったのに、突然メールがはいって、サンフランシスコに招待されて、雑誌でしか見たことのなかったエベントにでました。

「時空五行風水大戦」というゲームで、毎朝早く起きて、うちのガレージで一年半かけてつくりました。パズルゲームですが、女の子が主役です。自叙伝的な部分があって、プレイしながらこのゲームがどうやってつくられたかもみられるんです。デザインは自分が子供のころやっていてゲームを思いだして、ちょっとレトロ風にしました。このゲームが、コンクールで賞をもらったおかげで、大手のゲームメーカーのセガゲームズに買ってもらったんです。

「風水大戦」を作る前は、コスタリカにある、アメリカの大きな会社の下請けの会社の社員として、仕事をしていました。でも、いろいろなプロトタイプをつくっても、最終的にはお金がなくて、プロジェクトを完了させるところまで持っていけなくて。そのためにだいぶフラストレーションを起こしていました。

それで、「風水大戦」が売れてから、弟と自分たちの会社をつくることにしたんです。ぼくたちの会社は、Yuan Worksというんですが、弟とぼくだけの会社です。弟はコンピューターエンジニアで、台湾に住んでます。彼がプログラミングをやって、ぼくがデザインや音楽を担当してます。買い手は日本や、ヨーロッパのいろんな国の会社です。任天堂やソニーも買ってくれてます。でもアメリカの市場に入り込むのは競争が激しいのでむずかしいですね。

ゲーム作りのインスピレーションは子供のころの思い出です。あのころ、「こういうものがあったらいいなあ」と思っていたものを今つくっています。

機械ができないソフトスキルを学べ

将来は、ゲームだけでなく、まんがや本も描きたいし、一時間ぐらいのアニメも作ってみたいです。あと、博物館を作って見たいし、無料で若い人がアニメーションやそのほかのテクノロジーを勉強できる場所を作りたいと思ってます。

大学を中断していたんですが、新しく3Dモデリング(ゲームやアニメなどに登場する人物やもの、背景などを、ソフトウェアを利用して立体的に形作る仕事)の学科ができたので、また戻って学士号をとりました。今は、ゲームを作るかたわら、同じ大学で先生もしています。若いひとと自分が学んだことを分かち合えるのが楽しいですね。

ゲームの技術は、今やいろいろな世界でつかわれています。たとえば、土星探査の操作はゲームのテクノロジーをつかってるんですよ。人間がやってきた仕事はどんどん機械がやるようになってます。弁護士の仕事をするコンピューターがもうできているし、テレビ番組のBGMの作曲や、ニュース記事を書くことだってできるんです。

こういう世界の中で生き残るのは、ソフトスキルを持った人です。ものごとのやり方がわかっているだけじゃなくて、どうしてそうで、何のために役にたつのかがわからなくてはなりません。

コスタリカ、アジア、そして世界へ

ぼくは子供のころはコスタリカが自分の国だと思えませんでした。学校の休みに台湾にいっていたんですが、台湾のほうが居心地が良く思えたんです。コスタリカの子はませてて、早くからガールフレンドがいたりして。でも中学生になってから考えが変わって、自分はどこでも住める、と思うようになりました。今は70パーセントアジア人、30パーセントコスタリカ人だと思ってます。妹は見た目はアジア人ですけど、フィエスタ(パーティー)が大好きだし、大声でしゃべるし、中身はぼくよりコスタリカ的です。弟は半々ぐらいかな。ぼくたちの間では、スペイン語と英語と中国語のごちゃまぜで話してます。

コスタリカにはいいところがたくさんあります。軍隊がないこと、よい教育制度、いい気候、フレンドリーな人びと。でも心配なのは、有能なひとたちが国を出て行ってしまうことです。政府のひとと話しても、国民がコンピュータ―知識を子供のころから学ぶように投資しているのに、と残念がっています。問題は、若いひとがビジネスを立ち上げる機会が足りないことです。友人でバーチャルリアリティーの専門家がいて、政府と協力して、博物館でVRの展覧会を開こうとしたんですけど、政府側がすごく官僚的でできなかったんです。結局、彼はドイツに行ってしまいました。

日本は大好きです。2011年に、JICAの奨学金をもらって、日本文化の勉強をしに行きました。食べ物がおいしくて、きれいなところがたくさんあって。日本人も大好きです。日本人の友だちもいます。

もちろん日本のアニメも大好きです。宮崎駿の作品は数えきれないぐらい繰り返してみてます。片渕須直の「この世界の片隅で」も、とてもいいです。いろいろ研究して、今はもうなくなってしまった世界を再現しています。高畑勲の「かぐや姫」がアカデミー賞に推薦されましたね。絵の具を使った、手描きの美しい作品です。

日本のアニメ文化は、コスタリカにもとても浸透していて、そのせいで、日本語が若い人のスラングの一部になってます。うちの大学でも学生が「君がぼくのココロを壊した」(Me rompiste el cocoro)なんて言ってます。

日本にはゲーム関係の会社がたくさんあるので、困ったら仕事を見つけることもできると思うんです。多分ぼくはいずれはコスタリカを出ると思います。もともと100パーセントコスタリカ人ではないですし、自分は世界の市民だと思ってますから。

日本の若い人へのメッセージは、夢があるならトライしてみることです。失敗したっていいんです。ぼくだって、やって見たから自分の会社を起ち上げられたんですから。

(インタビュー2019年3月17日)

コスタリカから世界を目指すゲームデザイナー、ゲンジさん” への2件のフィードバック

  1. 今回も吸い込まれるようにして読みました。コスタリカ、台湾、中国、アメリカ、日本、すごくインターナショナルですね。ゲームでヒット作を楽しみにしています。

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