フランチー二、13歳での妊娠から独立への道

「 自分の現状を自分で変える決心があったんだと思います。それが強さと忍耐力を与えてくれたんです。人生はあまりにも美しくて、経験したいことがあまりにもたくさんあって、「十代の母親フランチーニ」だけで終わりたくはありませんでした。 」

フランチーニには、私が国連で仕事をしていたころの同僚のヒルダに紹介したもらいました。ヒルダは国連を退職してから、Pan y Amor(パン・イ・アモール=パンと愛)というコスタリカのNPOの事務局長を務めています。彼女から、パン・イ・アモールのGirasoles(ヒラソレス=ひまわり)というプロジェクトが、雇用や社会的参加のための訓練を通じて、貧困層の若い女性の生活を向上させているという話を聞いていました。去年の11月に、プロジェクトの参加者の卒業式に招待されて、卒業生のひとりに話を聞きたいと思ったのです。ヒルダが選んだのがフランチーニでした。

フランチーニとは、サンホセに近い太平洋沿岸の観光地、ハコー市にあるCentro Cívico por La Paz (セントロ・シビコ・ポル・ラ・パス=平和のための市民センター)で話をしました。ヒラソレスのこの地域での活動の多くはここで行われています。このセンターは法務省の管轄下にあり、ホームページを見ると、使命は、「若者の領土であること」そして、「さまざまなかたちの暴力の防止と若者の社会的参画の推進」とあります。

フランチーニは、このインタビューの直後に市民センターから「2019年にいちばん活躍した若者」に選ばれました。

大きなおなかで小学校を卒業

Ana Francini Gonzales Ávalos(アナ・フランチーニ・ゴンサレス・アバロス。アナ・フランチーニは名前、ゴンサレスは父親の苗字、アバロスは母親の苗字。ラテンアメリカでは両方の姓を使うのが習慣です。また、彼女のようにファーストネームを省略してフランチーニだけを使うのも普通です。)といいます。今18歳です。ハコーで生まれました。父はガードマンで母は主婦でした。五歳のときに、洪水で家が流されてしまったのでとなりのエラドゥーラ市に引っ越したんですけど、その少しあとに父が出て行ってしまったんです。そのころ私はちょうど小学校にあがったばかりで、あまりのショックでうつ病になってしまって、一年間休学しました。戻ってからもなかなか学校に慣れなくて、三か月ぐらい母がいっしょについて行ってくれたほどです。

家族は貧しくて、父は何の援助もしてくれなかったので、制服や学用品が買えないときもありました。でもそういうときはいつもだれかが助けてくれたんです。たとえば父のもとの雇い主とか、母がときどき私の大好きなセビチェ(魚介類をレモン汁にマリネしたものを生で食べる、ラテンアメリカの名物料理)を食べに連れて行ってくれたレストランのご主人とか。私には彼らがまるで地上の天使のように思えました。

勉強は大好きだったんで、学校ではいつもいい成績をとっていて優等生でした。ところが、六年生で、もうすぐ小学校を卒業するというときに妊娠していることがわかったんです。私は13歳でした。父親は私の家の裏に住んでいた、五歳うえの男の子で、彼とは11歳のころから友だちだったんです。彼はニカラグア人で、お母さんといっしょに住んでいました。私が妊娠したことがわかると、父親として責任を果たすために、私の家に引っ越して来ました。今でもいっしょです。

私の母は無条件に応援してくれました。「叱ったからって何の解決にもならない。大事なのはあなたたちの生活がよくなることよ。」と言ってくれて。

そういうわけで、大きなおなかで小学校を卒業したんです。学校の先生たちはみんな励ましてくれました。お医者様の診察に行くことを忘れないように心配してくれたり、おむつや衣類を寄付してくれたり。私は独立記念日に学校を代表して、たいまつを持って走るランナーに選ばれていたんです。ところが体育の先生がそんなお腹で走るのは危険だと言いだして。でも、「これは私が一生懸命勉強して勝ち取ったものなんだから」と言いはって走ったんです。

赤ちゃんは男の子で、2015年の1月28日に生まれました。名前はタイロンといいます。中学校の授業は2月6日にはじまることになっていたので、赤ちゃんの世話をしながら通うのはとても無理でした。それで一年間休学したんです。母は自分がめんどうを見てあげるというんですけど、私は子供をとられてしまうのが怖くてぜんぶ自分でやりました。子供が一歳になったときに、成人学校にはいりました。必死に勉強して中学と高校の六年分の科目を一年三か月で終えたんです。そのあいだは目にクマを作っておむつを替えていました。

ヒラソレス のおかげでトレーナーに

成人学校のコースが終わったあとももっと勉強したくて、IMAS(官民混合の社会扶助機関)の、女性の社会参加を推進するための研修コースをはじめました。私はとにかくいろいろなことを学ぶのが大好きなんです。母にも小さいころから「一生懸命勉強しなさい。それ以外私からは何もあげられないから。」と言われていました。

ヒラソレスについては、それから少しして、プロジェクトの一期生だった友だちから聞きました。彼女がまた新しいグループを組んでいるというので、この地域のヒラソレスの担当者のアンジーと会って、入れてくれるよう頼んだんです。

最初の研修は2017年の八月にはじまって、人間としていかに成長するかについてでした。最初の日に、「あなたたちには人間として、女性として価値がある。自分のことを自分で決断する権利と声がある。」といわれました。そのとき、自分はずっと前からこのことを心のどこかでわかっていて、今までそれをはっきり表現できなかっただけなんだ、と気づいたんです。このあと仕事につくために必要な知識や技能(エンプロイアビリティー)についてまなびました。おかげで新しい世界や可能性が見えてきて、もっと野心を抱くようになったんです。でもその反面、自分みたいな人間に何ができるだろうという疑問もありました。まだ高校卒業の認定もとっていなくて、履歴書に書けるものも何もなかったので。

市民センターの壁画。Arte por la paz (アルテ・ポル・ラ・パス=平和のためのアート)と書いてあります。

本当だったら、研修を終わったあと、近くのホテルでインターンをするはずだったんですけど、私はまだ準備ができていないと思いました。それで、アンジーに、しばらく彼女の手伝いをさせて、と頼んだんです。八か月間ボランティアとしてヒラソレス の事務所で働きながら、いろいろなテーマについてさらに研修を受けました。食料品のあつかいかたから人権問題、紛争解決、コンピューターソフトについてもまなびました。仕事も事務仕事、研修の手伝い、商工会議所や市民センターのスタッフとのミーティング、といろいろでした。

私は最初ヒラソレスにはいったときはすごく引っ込みじあんで、いつも黙っていたんですけど、アンジーがとても私を信頼してくれて、自信をつけてくれました。「自分の心にしたがって、自分がやりたいことをやりなさい。」と言って。いろいろな仕事をてがけていくうちに、だんだん要領もよくなって、自信もついてきました。以前は大勢のひとの前で話すなんて恐ろしくてできなかったんですけど、今は怖くありません。

七月から友だちと組んで、若い人に仕事場で役に立つコンピューターソフトウエアの研修コースをはじめる予定です。たとえばGメールとか、PDFとか、プレゼンソフトのプレジとか。トレーナーとして生徒から授業料をとるはじめての経験です。アンジーと働きはじめたときはコンピューターの使い方もわからなかった私がです!

目的を持つこと、そして人生を謳歌すること

私のパートナーは、4年生までしか学校に行っていません。配達人やタクシーの運転手やいろいろな仕事をしていて、最初は勉強をしたがらなかったんですけど、今年から成人学校に行く決心をしました。ハコー市の楽隊でドラムをたたいています。彼なりの生き方を模索しているんです。

私は将来は大学にはいって、心理学を勉強したいです。社会に関することにすごく関心があります。人権問題、それから女性やジェンダーの問題にもとても興味があります。もっと平等な社会を築くために努力をしなくてはいけないと思うんです。今はINA(成人の職業訓練機関)で毎日4時から9時まで英語教室に通っています。

自由な時間はなるべくタイロンと過ごします。彼はすごく社交的でだれにでもおしゃべりするんです。とてもハッピーで頭がよくて愛情深い子です。しょっちゅう私にキスをして、「ママ愛してる」って言ってくれます。タイロンのためにいちばん望むのは彼が自由であることです。そして人権という観念を自分の身で生きて、社会にも発信して欲しいと思います。それに何でもいいですけどたくさん勉強して欲しいです。勉強ってすればするほど何にも知らないことがわかってきますものね。

今とても幸福です。時々いったいどうやって私はここまできたんだろうと、自分で自分に驚いてしまうことがあります。この私がインタビューを受けるなんてびっくりです。

自分の現状を自分で変える決心があったんだと思います。それが強さと忍耐力を与えてくれたんです。人生はあまりにも美しくて、経験したいことがあまりにもたくさんあって、「十代の母親フランチーニ」だけで終わりたくはありませんでした。

コスタリカはより平等な社会を築くためにいろいろな努力をしていると思います。昔とくらべるとたくさんの女性がリーダーとして活躍していますし、政治の世界でも影響力を発揮しています。LGBTの人たちも以前のようには迫害されていませんし。英語教育やテクノロジーの面ではまだ遅れています。環境保護については、ポリ袋の使用を廃止することにしたのは前進ですね。

日本はすごく発展していて、日本人はすごく頭がよくて働き者だという印象があります。大きな企業や工場がたくさんあるんでしょうねえ。ぜひ行ってみたいです。

日本の人たちへのメッセージですか?何かひとつ目的を持つことが大事だと思います。何か小さな種になるもの、エンジンになるものを持つんです。それが毎朝起きる元気をあたえてくれます。そして一瞬一瞬を謳歌することです。太陽の光、風、土、水、すべてをです。

(インタビュー2019年2月25日)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください